春、たくさんの花々が色とりどりに咲き始めて目を楽しませてくれます。
道端の小さな可愛らしい花、よく手入れされた花壇の花々、木々に咲くさり気なくも可憐な花・・・どれもそれぞれ独自の美しさを持っていて、あたたかい陽を浴びて満ち足りているように見えます。
自分と他を比較して「あの花だったらよかったのに」とか「あの花になれたら幸せになれるのに」など思うことなく、光や風を楽しんでいるようです。
「花開く」ということで感じたことがありました。
花が開く時、花は一生懸命気張って花弁を開くのではない、時がくるとやがて自然に解けるように、掌を開くように、どんな努力もなく花弁は開くのではないかしら、ということでした。
それはむしろ「明け渡し」のようなのではないかしら、と感じたのです。
そんな風に私も花開けたらいいなと思いました。
内側に愛に満ちた気づきを向けてそこにある本質を知り、そしてまた独自性に価値を与えることができるとき、私たちは花のように開く準備をしています。
花開くこと――それは花にとって喜びであり、花を見る人、花に触れ香りを嗅ぐ人にとっても喜びです。
比較や判断の中で共にあるのではなく、共に花開き互いに愛でることができる・・・そんなガーデンを生きることができるように、今すぐできることをする、そんな風に今自分に言い聞かせています。
比較や判断をもたらしている石ころを丁寧に拾い上げて、絡まった蔦をほどいたり窮屈になった支柱を外したり・・・そんなひとつひとつの作業を通して、花として本質を生きるように。
私たちを抱き育んでくれている〈母なる自然〉への祈りとしても、私たちがハートから〈本質〉を生きることができますように。
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